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町指定文化財


史跡


 史跡としては、「千草原遺跡」「阿嶽の洞穴」「苦浜貝塚」の3ヶ所の遺跡と、「日良法印御墓所」「日良法印墓地跡」の計5ヶ所が町指定文化財として保護されています。

千草原遺跡 「千草原遺跡」は昭和42年12月、県営ほ場整備事業中に当時の高校生によって発見されました。耕作によって攪乱された表層は弥生時代後期の包含層で、磨製石斧・石鏃、土製品などが発見されました。
 下層の火山灰層下からは、塞ノ神式土器・轟B式土器・曽畑式土器や打製石鏃なども出土しました。
(昭和55年3月26日指定)

建造物


 町指定文化財のうち、建造物は「塩釜跡」「野間焼窯跡」「戸畑の煙突」の3件です。

戸畑の煙突 「戸畑の煙突」は、増田・戸畑地区の九州海軍航空隊種子島基地跡に唯一残る、烹炊所と思われる煙突です。機械力のない戦時中、この飛行場建設のため、島内の老若男女が駆り出されて昼夜兼行で山を削り谷を埋め、滑走路が造られました。終戦前の空襲で地上施設のほとんどが破壊されましたが、この煙突だけが残りました。
 戦後60年を過ぎた現在でも、高さ約10mのレンガ造りの煙突はまだまだ堅固でどっしりとたっています。
(平成18年1月26日指定)


歴史資料・工芸品

 歴史資料としては「矢止石」「宮吉良の石塔」「上妻氏の石塔」の3件が、工芸品としては「塩釜神社の石臼」「牧のコテ」「牛ノ原牧の証文」「中之町牧の証文」「日蓮筆曼陀羅」「日隆筆曼陀羅」の6件が、それぞれ指定されています。

矢止石 坂井村の領主・日高左京之進は、律宗の正法寺の住職を兼ねていました。その正法寺のすぐ前に、日良法印が法華宗の浄光寺を建立、対立が生じました。ある時左京之進は、正法寺から日良めがけて矢を放ちましたが、その矢は全てこの「矢止石」に阻まれ日良には1本も当たりませんでした。その法力に感服した左京之進は、許しを乞うて法華宗に帰依したと云われています。
(昭和55年3月26日指定)

中之町牧の証文 「中之町牧の証文」は、種子島家の領地であった「牧」を、村の窮状を救うために分割を願い出た際の証文です。
 「牧」とは、種子島に古くから伝わる風習で、農耕に必要な牛馬を共同で放牧する牧場の様なものでした。そこで暮らす人々はその牧を中心とした共同生活体を構成し、生活を営んでいました。
 周袈裟女とよばれた女性は、自らの身の危険を顧みず、島主に領地の分割を願い出たのです。
(昭和56年2月8日指定)


天然記念物

 「坂井神社の大ソテツ」「ヤッコソウ自生地」「ヤクタネゴヨウ」「ハマジンチョウ・メヒルギ自生地」「平鍋の化石」の5件が指定されています。

ヤクタネゴヨウ 種子島・屋久島にのみ自生するこの「ヤクタネゴヨウ」(五葉松=通常の松は葉が2本ですが、五葉松は葉が5本)は、生長が早く、根元と木口の径がほとんど同じで、また柔らかくて加工しやすいため丸木船の用材として利用されてきました。近年まで島内にも数多く見られてきましたが、耕作地への開墾やマツクイムシの害等で激減してしまい、絶滅が危惧されています。
(昭和55年3月26日指定)


そのほかの文化財

石橋 大平橋

 昭和2年に竣工したこの石橋は、本島内に唯一残る単一アーチの石橋です。欄干は洪水で流されコンクリートで補修されていますが、本体にはひずみ1つありません。
 大正2年に始まった道路工事は、桜島の石工によって造られたこの石橋の完成を待って、昭和3年に県道として開通し、その後国道になりました。
 現在は道路改良により新たな国道が造られましたが、大平橋は今でも農道として地域住民の暮らしを支えています。 


参考資料「文化財一覧」「位置図」もあわせてご覧ください。

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