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更新日:2023年2月27日
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昔から種子島にはたくさんの唄や踊りがあり、民謡の宝庫といわれてきました。もちろん中種子町にも、各集落に数多くの郷土芸能が伝わっています。しかし、近年の人口減少・過疎化の影響などから後継者不足が深刻化し、その継承が難しくなってきているのが現状です。
郷土芸能には、各地で唄い継がれてきた民謡や、祈願祭・大祭などで踊り継がれてきた大踊りなどがあります。
その名の通り、二十数名から数十名の大集団で踊ります。種子島の大踊りには何通りかありますが、それぞれ共通する特色を持っています。概ね
…などが挙げられます。
花笠姿の入れ鼓の周りを武士姿の唄い手が囲む武士踊り、舞が美しく優雅な源太郎踊り、鎧をつけ軍配を持って踊る雷踊りなどが主なもので、それぞれに色々な唄があります。
※源太郎踊りについては「町内の国・県指定文化財」のページ参照
原之里集落大踊 桐のまないた(平成18年3月5日)
平鍋集落大踊 しんご踊り(平成17年11月12日)
大踊りよりも規模が小さく、太鼓・入れ鼓・鉦それぞれ1~2名程度で、服装も比較的単純です。「弁慶踊り」や「なぎなた踊り」「鎌踊り」などが代表格です。
町連合青年団 琉球人踊り(平成16年11月6日)
町連合青年団 なぎなた踊り(平成18年11月18日)
全国各地に伝わる民謡ですが、種子島にもたくさんの民謡が伝わっています。ここではそのうち代表的なものを挙げてみましょう。
牛馬の餌となる草を刈りながら歌ったといわれています。その歌詞は『歌の数々一万五千』と歌われるほど種類が豊富です。
『噛めよ車よ回れよシンギ 汁も溜まれば夜も明くんどう』(黒砂糖を造るためサトウキビを絞る様子を歌ったもの)、『草は切りても束りが細よ かるて(背負って)帰るが恥ずかしか』など当時の様子を時にはコミカルに歌い上げます。
元々は「増田節」「周袈裟節」と別々の歌でしたが、今日ではいっしょになって「増田周袈裟節」として歌われています。
増田節は、『増田前浦 石(こく)の高い所 さげてたもれよ増田の石を 風門 畝づまり 潮がかり』と、当時の増田地区の様子を歌っています。
また周袈裟節は、増田地区に実在した「ケサ」という女性を歌ったものです。器量も良く才知に富み、愛嬌のあったケサは、牧場の払い下げや年貢の減額など様々な功績を残し有名になり、歌に歌われるようになりました。『増田周袈裟女は本源寺の鐘よ 響き渡らぬ村はない』
『めでためでたの若松様よ 枝も栄える葉もしげる』と歌われるこの祝歌は、結婚式や新築落成、七草などお祝いの席で地元集落の方々によって披露されるなど、各集落で今でも大切に歌い継がれています。
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